常識を覆した“乳液が先”に、
なぜ自分は運命を感じたのか?


じつはずっと避けていた“乳液が先”
自分にとって紛れもなく“運命の化粧品”と言えるのが、他でもないアルビオンの乳液。
出会った時、いきなり明快な違いを感じたのだから、やはりこれは運命と言うべきだろう。
忘れもしない。それは30代に入って、明らかに肌の様子が変わってきたと感じていた頃。
肌が乾くのに同時に油っぽく、だからキメも荒く、毛穴も目立つ。くすみも気になるようになっていた。
そんな時に初めて試してみたのが、アルビオンの提唱する“乳液が先”。
正直を言えば、それまで洗顔後にすぐ乳液を塗るというのが感覚的に馴染めず、何となく避けていた。年齢的にもまだ肌がオイリーだったから、乳液そのものへの苦手意識もあったと思う。ただ避けてはいたけれど、じつはずっと気になってもいた。
なぜなら、アルビオンではそれを「お乳液」と呼び、“乳液が先”を自信と誇りを持って、何としても広く伝えていきたいという気概が見えていたから。そこまでのものならば、いつかは試してみたいと。だから今こそチャレンジするべきと思ったのだ。


お手入れ順序の秘密を暴く?
するとどうだろう。肌の様子に変化が!初めて試した日から肌印象が変わったのだ。なんだか肌がふっくらし、キメの乱れや毛穴が目立たなくなったよう。肌色も明るく、透明感が生まれたような気がした。正直ちょっと驚いた。
これはきっと“乳液が先”という常識を覆した独創的なお手入れ法によるものに違いないと確信した。その後、改めてアルビオンに取材! 以前から聞いていた“乳液が先”の意味を実際に肌で試して、もう一度きちんと自分で確認したいと思ったのだ。
乾きぎみの肌にもするすると浸透※していって、肌内を潤いで満たしつつ、潤いの容器を作るのがアルビオン乳液の役割。その後に使う化粧水をその器にたっぷりと注ぎ込んで、さらに肌を充満させると、ふっくらした肌にハリやキメ細かさを与えると同時に、透明感まで期待できる……アルビオンはそう訴え続けてきた。
それが見事に腑に落ち、深く深く納得できて、拍手をしたいほどの気持ちになったのだ。
洗顔→化粧水→乳液……絶対に崩してはいけないと思っていたお手入れの順番には、逆に意外なまでの手ごたえを生む大きな秘密が隠されていた。それを見つけてしまった気分だったのである。※角層まで


乳液に新しい力を見い出した
“アルビオン乳液”
“乳液が先”は、アルビオンの発明であると言っていい。
創業時から始まる、全くオリジナルのお手入れ法だったのだから。
もともとが、洗顔後の肌を柔らかくしながらも、必要な潤いを与えてあげる一石二鳥のアイテムとして、乳液に新しい価値を見出したのが始まり。だから、大振りのコットンにたっぷりと3プッシュ含ませて、優しく肌を磨くように使うのがお作法となったのだ。
けれども揺るがぬ常識である”化粧水→乳液“という順番をひっくり返すのは、簡単なことではなかったはず。大きな苦労を伴ったはずだ。
じつはヒントとなったのが、“フライパンの油は油で落とす”という発想。油の汚れは水では落ちず、油を使うと、汚れもざらつきも取り除ける上に、なめらかなしっとりした表面が蘇るという現象から、このユニークすぎるテクニックを思いついたと言う。
言い換えれば、ただの思いつきではない。ちゃんと物理的な裏付けがあってのことだったのだ。それも、より良い肌づくりのため。お手入れの真実に迫っていくため。つまり正しいと思ったら、常識もひっくり返す……その勇敢さやこだわりの強さこそがアルビオンの強みなのだろう。


美肌づくりへの情熱と執着が半端じゃない
それも、アルビオンが美肌づくりに対し、真似のできない情熱を持っているから、良い意味の執着心を持っているから、行き着けた境地。だからこそ、このアルビオンならではの異端のテクニックを心から信じてみたくなったのだ。
以来、私はずっと乳液が先。もちろん仕事柄、いろんな製品を試すけれど、気がつくとやっぱり”乳液が先“に戻っている。言うまでもなく、その方が潤い実感が高いから。そして肌がふっくらするから。何よりの習慣になっているのは、潤いを閉じ込めるように、入浴後も服を着る前に乳液を塗っておくこと。
だから今更だけれど、“アルビオンの乳液”は、他にはない全く独創的なアイテムなのだと私は信じている。長年使い続けているけれど、その考え方を疑問に思ったことは1度もない。時代時代で使うシリーズは変わっていったが。
エクサージュを使っていた時もあれば、エクシアを使っていた時もあり、アンベアージュの時も。もちろんアンフィネスも。同じ乳液でも、テクスチャーは一つ一つ違うという驚異的なモノづくりにも感動させられる。
どのシリーズにも共通して言えるのは、
“乳液が先”というお手入れ法が叶える独自のしあがり。ひとたびそれを知ると、洗顔後すぐの乳液がいとおしくなる。まるで肌が乳液を強く求めているとさえ感じてしまうのだ。
だから私は、これからもずっとずっと”乳液が先“を貫くのだろう。
文字通りの、運命の逸品として。

